美味しくダイエット

1年間で18㎏減量して、維持している記録

病院で糖尿病と診断されたのがきっかけで。
食事に気をつけるようになりました。
カロリー計算しながら減量に励む日々の
献立をご覧ください。

美味しい食事を、たくさん食べながらも、
体重は減っていく。
そんな、毎日のご飯を
ご覧ください。

椎茸の肉詰めフライ弁当 と 天ざる そして岩崎家別邸





隣町にある
岩崎家のお屋敷が、
公開されるそうなので。
拝見しに行くことに
しました。



いつも、この前を
通っているのですが
ここが、お屋敷とは、
気が付きませんでした。






富里市の方から
説明していただきました。


もともと、この富里の地は
明治政府の開墾地でした。


しかし、経営が
うまくいかなくなり
岩崎家に買い取って
もらうことになりました。



当時、多角経営の三菱を
率いていた
岩崎久彌氏が、
ここを農業と畜産を、
計画したそうです。



しかし、土地が痩せていたので、
農業よりも、
植林事業として、
111万本の木を植えました。



玄関先の車回しにある
植林の記念碑です。


そして、鶏と豚を飼って
農場を作りました。


久彌氏と弟の正彌氏は
留学の経験から
洋式の養鶏法をしたので
〈箸でも千切れるくらいの
柔らかな肉〉
が生産されてたそうです。


これは!食べたい!
でも、
値段が高いので
宮内省、大使館、帝国ホテル、
料亭末広にしか、
出荷できなかったそうです。


久彌氏は、
【採算度外視しても
畜産界の進歩】
を進めました。


この精神で
今現在の千葉県の
農業と畜産の
成功があるんですね。


この頃、
この地に
このお屋敷が
建てられたらしいです。


大正末から昭和初め頃
らしいです。



母屋150坪


関東大震災の後なので、


耐震、耐火の構造が
施されています。


部屋数12、トイレ2、




大物は違いますね。
たいしたもんです。



母屋から見ると
庭の紅葉が、美しい。



東屋


デザイン、建築材が
趣向を凝らしていて
ゲストハウスの役目
もあったそうです。



驚くことに
この東屋の
電気も水道管も埋没式
なんだそうです。
この時代にビックリですよね。


景観を良くするため
だそうです。


ここから、クスノキの木が
眺められます。


父親の
三菱創始者岩崎彌太郎氏が
クスノキからショウノウを
抽出して、財を成したから、
クスノキを父親と
重ねていたらしいです。





しかし、
こんなに手塩にかけた
農場だったのに。


戦後、GHQによって、
財閥解体と
農地開放により、
自治体に譲渡され
岩崎久彌氏が愛情を注いだ
農場の実績は
跡形もなく消え去ったのです。



東京の本邸を
GHQに物納した
久彌氏は、
昭和24年に
この農場内の
この屋敷に越してきて
余生を暮らしたそうです。



これは、石蔵。



車椅子があったそうです。
当時としては
車椅子は珍しく、
特注品らしいです。


昭和30年に90歳で
久彌氏の激動の人生に
幕が下りました。


同時に別邸も、
深い眠りにつきました。



この頃
広大な農地は
千葉県の農業畜産試験場
になりましたが。


30年後半から、
成田空港計画により、
空港用地買い上げ農家の
代替え地になったそうです。



昼ご飯は、
この近くの広場で
食べました。




椎茸の肉詰め
コロッケ

玉子焼き
レタスの卵とじ
小松菜のおひたし
玉ねぎとピーマン炒め
サラダ


大根の味噌汁



おやつのシュークリーム
コーヒー


サッサと食べて
この隣町の図書館に
向かいます。



午後から
映画会です。
13時から整理券
を配られます。


少人数なので、
安心です。


これは、ロシアの映画です。
奥さんは、ロシア映画が
好きらしく
「これは、是非、観る!」
と、言ってるので。


本日は慌ただしく
昼ご飯を食べることに
なりました。


飼われていた子猫が
トラックの荷台に
落ちた為に
遠い町に行ってしまい。
いろいろと
冒険しながら、
飼い主の所に
戻って来た。
という
ほんわか雰囲気の
映画でした。


6年前に空に行った
愛猫と同じ毛色の猫です。


思い出しちゃいます。
(T_T)


夕飯です。



蕎麦
ネギ、玉ねぎ、生姜
の天ぷら


カロリートータルは1880キロカロリー。


今日行った図書館。


椅子が全部、
片付けられていました。


本を選ぶ人も


映画の時間まで
待ってる私達も


突っ立ったまま。


腰痛が
ぶり返さないためにも
コロナの終息を
祈ります。

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